タイトルの付け方について


前回の記事の感想でKazさんから貴重なご意見を頂戴した。

ネーミングセンスが神がかっているの塊だなんて、なんて光栄なお言葉だろう。こういう感想を頂けるのは本当にありがたい。

日頃からお世話になりまくっているKazさんにはマッシュルーム1年分を送っておきます。

(※Kazさんは遅延型アレルギー検査の結果マッシュルームに反応が出ています。遅延型食物アレルギー検査(IgG)をしてみた!

言われてみれば今まで記事のタイトルの付け方とか特に考えたことはなかったのでこの機に掘り下げてみようと思う。

 

では前回記事のタイトルから

礼節と合理性の間

これはいつものように部屋でボケーっとしながら炭酸水で喉を潤していた時に雷に打たれたようなビビッと感があって閃いたタイトル

というわけではなく記事内にも書いたように冷静と情熱のあいだからパクったものだ。まぁそういう意味ではパクる題材が閃いたともいえる。

視点を切り替える技術

これはよく覚えている。この記事の内容を出来る限り明確に伝えるタイトルはないか、と三日三晩悩みに悩んだ挙句やっと捻り出した渾身のタイトル

 

というわけではなく、堀江貴文さんの著書

「無駄死にしない技術」を横目に「あぁ、これ良いな。パクろう」と思ってつけたもの。

もっと身長があれば…とか思ってるやつちょっと来なさい

これが過去最高のアクセス数の記事。おそらく身長が高くなる方法が書いてあると思ってリンクをクリックした人は相当数いると思われるが、そんな人が読めば思わず画面を叩き割りたくなる内容だ。

このタイトルはどこからパクって来たかというと…

ちょっと待ってくれ

俺がいつもAVのタイトルみたく、どっかからパクってきたものを適当に文字ってつけてるだけと思ったら大間違いだ。

さすがにこのタイトルはどっからどう見てもオリジナリティ溢れるものだろう。否定はできまい。

そう、これはいかにも2ちゃんとかに出てきそうな掲示板名からパクって付けたタイトルである。

 

 

待て待て待て

お前ただパクってるだけやんけ

こうして振り返ると本当に何も考えていない。こんなの誰の参考にもならないし、何かこう、俺の自己流のやり方みたいなのが書けてこそ読者の皆様に価値を提供することができる。

それなのにこれではただのパクり推奨の記事でしか…

 

 

 

 

 

パクり推奨!

 

パクればいい。

オリジナルに拘りパクリを嫌う日本人は多いが、そんなもの誰だってパクリ(真似)から始める。嫌悪感など抱くから何の恥もプライドもなくパクりまくってくる中国に、我が日本国は骨の芯まで食い尽くされているのではないのか?

楽曲も演奏もパクって自分で弾けるようになってからオリジナリティを追求すればいい。バカは何もパクらないうちからオリジナリティを追求するが、根幹部分を抑えずにやるとただの奇特路線を突っ走るだけだ。

もちろんそれで評価されることもなくはないが、やはり基本を押さえた上でのオリジナリティの追求こそ良質な作品作りに繋がると思う。

一般人に理解不能なピカソの傑作の数々も、普通に絵が上手いのが大前提にある。まるで子供が書いてきた落書きのようにしか見えない大作の数々もピカソが書いてこそ評価される。まぁ俺は芸術は無知で絵心の欠片もないのでこの例が違っていたらごめんピカちゃん。

ということで有名な著書や作品はどんどんパロっちゃえばいい。

例えば

閑古鳥が鳴くkaiの人生相談所Vol.2

これは日テレの「行列のできる法律相談所」をパロってる。「行列の出来ない」では面白みに欠けるので「閑古鳥が鳴く」にしてみた。

今思いついたが別に「過疎ってるkaiの人生相談所」でも良い。実際想定通りに過疎ってるし…。べ…別にこれでいいもん。忙しくなったら困るからな。願ったりかなったりだし、強がりなんかじゃないし!

孤独を恐れない勇気

これももちろんあれから来ている

俺の大好きなアドラーの「嫌われる勇気」

しかもこの記事に関してはタイトルから内容(主張)にいたるまで丸パクリ。それを俺の言葉で言い換えたもの。まさに嫌われる勇気の劣化版と呼ぶに相応しい。160万部を超えるような大ベストセラーをわざわざ劣化させた記事を書くというところが粋じゃないか。(?)

 

因みに余談だが、記事の書き方にはタイトル(テーマ)から内容を書く方法と、内容を書いてからタイトルを付ける方法があるが俺は両方である。

書きたいテーマに沿って書くこともあれば、自分のツイートからネタを発掘してそれを掘り下げた記事を書くことも多々ある。後者はネタに困った時に俺がよくするネタの探し方。

テーマがないのに内容から入んの!?と驚かれる人はいるかもしれないが、更新頻度を自分で義務付けるとそうなる。俺のブログはいつも苦し紛れに無理やり捻り出しているムンクの叫びなのだ。あなたも一度更新頻度を義務付けて1年くらい継続してみるといい。週刊連載で死にそうな顔をしている作家の気持ちが1㎜ぐらいはわかる。

ではなぜ更新頻度を自分で決めるようなドMなことをしてるかというと、そうでもしないとこの演奏日記が更新されることは未来永劫ないからだ。それほどまでに俺は怠惰だ。律しないとどこまでも落ちていく自信がある。

さて、脱線してしまったが、最後にまとめるとタイトルのつけ方は何か有名なものからパクってくると良いです。俺はいつもそうしてます。

そしてこの記事のオチはですね

 

 

 

この記事のタイトルに何の捻りもないことだよ!

 

終演!