暇を持て余したアル中の遊び


遡ること1年9ヶ月前。世間はコロナ禍で飲食店は時短営業を余儀なくされたため俺はコロナ可だったが飲みにいけず公園でハイボールを片手に暇を持て余していた。そんな折、津軽三味線のアニメを見たのがきっかけで津軽三味線を習い始めた。

4~5歳頃からピアノを習っていたので音楽や楽器は好きだった。なぜ習い始めたかは覚えていない。自分からやりたいと言ったのか、親の教育だったのか。気付いたころには家にアップライドピアノがあり俺は母の車で音楽教室に搬送されていた。

「そこじゃない。ここ!何回言ったらわかるの」
先生によく手を掴まれたような記憶がある。今の俺ならそんなことをされたら札束で払いのけるがそんな財力もない幼稚園児の俺は毎晩「あのババアブッコロス」と発狂しながら枕を濡らしまくっていた。

教室に行くのが億劫になり行きたくないと泣きじゃくる俺を母は華奢な腕でそっと抱きかかえ満面の笑みを浮かべながら愛車のシビックに引きずりこみ毎週教室に出荷した。当時ピアノは全く好きではなかった。むしろ若干嫌いになっていたと思う。だがそのまま惰性で続けたピアノだったが小4の頃、音楽室で授業終わりに同級生の前で弾いて驚かれたのを覚えている。

「習ってるって聞いてたけどもっとショボいやつだと思ってた」
自分もピアノを習っているという同級生Hの目の色が変わったのを見て俺は少し高揚した。ホラ吹きと思われていたのだろう。小4アルアル中だ。その年頃の男子は「瓦3枚くらいなら割れる」とかイキった嘘を息を吸って吐くかのようにつく。

それまで女子に「男がピアノやってるのとか変」とディスられては音楽室の後ろの作曲家の写真を指差しながら「音楽家に女なんていない」と炎上しそうなことを言って地団駄を踏ませてきた俺にとって同級生Hに見直されるのはとても気分のいいものだった。Hは俺に自信を与え承認要求を満たしてくれる。
ありがとうH。俺はその日からHを見下し始めた。

クラスの伴奏も弾くようになり俺のピアノ弾けるキャラは定着していった。習うのは小6でやめたが中学でも伴奏を弾いた。小学女子に小馬鹿にされた男子ピアノだったが発情期になったメスの評価は次第に「男がピアノを弾けるのかっこいい」に変わり俺はピアノの蓋をゆっくり閉じながら天を仰ぎこう思うのだった。
「やっと時代が俺に追いついてきたか」

楽器がモテるという事実を知り雷に打たれた俺は高校からモテるためだけにアコギを始めた。ちょうど叔父がモテるためだけに始めて2週間で挫折したギターが母の実家に眠ってあったので拝借。バレーコードと呼ばれるFやBが綺麗に鳴るまで苦戦したが練習すればすぐ弾けるようになった。やはり楽器は面白い。株価は俺を裏切るが練習は俺を裏切らない。全くモテなかったが。

社会人になり仕事に慣れてからはモテるためだけに再びピアノを習い始めた。10年近くブランクはあったが経験者だったので感が戻るのは早かった。昔は先生に怒られるのが嫌で練習していたが嫌々やるのと能動的にやるのとでは上達速度も変わってくる。おかげで過去の自分のレベルは一瞬で追い越せた。全くモテなかったが。

ピアノの経験は音楽を学ぶ上での礎となりギターを始めたときも、再びピアノを弾き始めたときも、津軽三味線を叩き始めたときも、魚を捌き始めた時も、全てに活かすことができた。点と点は繋がるのだ。by貝(バイ貝)

今俺は津軽三味線を練習している。次の大会で入賞するのが当面の目標である。金にはならない。モテに繋がるとも思えない。しかし、自分の演奏を録音して聞いたり、過去の大会動画を見ながら参加者の演奏に首を360度縦に回すほど嫉妬したり、参加者に可愛い子がいないか血眼になって探しながら楽しんでいる。

次に引越す時はもっと広い部屋にする。そしたらピアノもまた始める。本ブログが本当に演奏日記になる日は近いのかもしれない。

 

余談だがふつう三味線の皮は猫の皮(よつかわ)が主流だが太棹と呼ばれる津軽三味線では犬皮(けんぴ)が使われている。字の通り猫の皮と犬の皮だ。そのため三味線協会と動物愛護団体では日々奢り奢られ論争ばりの死闘が繰り広げられている。