同居して思うこと


同居を始めてもうすぐ1年が経つので感想を書こうと思う。

まず、もともと自分は他人と共同生活という近接戦闘のようなコミュニケーションは出来ないと思っていて、結婚願望ゼロ、子供は欲しいと思うけど籍を入れたくないし事実婚がよくて養育費は送るから別居がいいという考えだった。それが色々あって結婚することになり結婚→同居→子供(未)という順序も含めトリプルスタンダードな人生になった。

同居を始めたのは去年の4月下旬でコロナの緊急事態宣言が発令されている最中。一人暮らし歴10年以上にも関わらず、家に帰れば人がいるという状況は意外とすぐ慣れた。一緒に住んでも顔を合わす時間が多くなかったのが要因かもしれない。学生の頃に四六時中一緒でイラついた半同棲とは違うと感じた。

部屋は別で寝る時も別、共働きで朝起きる時間、帰宅時間も違う。土曜日も俺は基本的に仕事なので顔を合わすのは平日夜と予定を合わせた日曜日。妻の仕事が忙しいときはホテルに連泊して帰ってこない日もある。

家事に関しては洗濯は分担。料理は俺のほうが帰宅が早いので大体毎日作っている。2人前を作っても効率が悪いのでまとめて多めに作って残りを冷蔵保管でローテーションで出す。掃除は気付いた時に暇なほうが。生活費は毎月20万を妻名義の共有口座に振り込んで家賃と駐車場代26.3万は全額俺が負担している。年収を下げてから給料のほとんどを振り込んでいるため自分の手取りはなく、独身時代の資金だけで資産運用。ついでに共有口座の預金も勝手に運用している。

これだけ書くと条件的にこちらが搾取されてる譲歩してるように思われるかもしれないが、共同生活において自分にできることはなるべくやろうと思っている。なぜかというとそれで関係が上手くいかなくなっても後悔がないからだ。これでダメなら仕方ないとしか思わない。

もちろんこれはこちらの一方的な主張で相手にも言い分や不満はあると思う。妻も生活費は入れてるし、自分は飲まないにも関わらずいつも冷蔵庫の製氷の水や酒を補充してくれたり、コンロを洗ったり、ゴミを捨てたり、鏡を拭いたり、コロコロの紙を変えたり、風呂に入っている間に極寒の中チャリをこいで持ち帰り半額ピザを取りに行ってくれたりと細かいことは俺よりやってくれる。子供が出来たらさらに負担をかけるだろう。別に自分のほうがやってるアピールをしたいわけではない。

これは相手に求めるだけではなく、自分に出来ることはそれが負担であってもやったほうがいいという主張だ。恋愛も婚活も結婚も仕事も全て一緒、選ばれる人にならなければ自分が選ぶことはできない。自分が主体的に生きたいからそうしている。

婚活など上手くいかない人を見ていると年収、学歴、顔、身長、奢り奢られ、海外旅行好き等、自分が選ぶことばかり考えているように思える。まずは自分に出来ることを考えて相手に合わせて動いたほうが上手くいくのではないだろうか。自分が相手に合わせることで相手が自分に合わせてくれることもある。

それに既に言ったが選ばれ思考で生きていると上手くいかなかったときに後悔がない。むしろこちらのほうがメリットかもしれない。やるだけやってダメなら仕方ないし縋ろうと思わない。フラれても上手くいかなくて離婚してもまた次頑張ればいい。そう思えるととても生産的な生き方ができる。

今は二人生活で今後子供が出来たら状況は変わるだろう。喧嘩もなく上手くいっていても今後もそれが続く保障などない。離婚の可能性は婚姻関係が続く限りなくならない。そうなりたくないと思うなら自分に出来ることを継続するだけ。子供がいたら自分には何がどこまで出来るか考える。

同居は価値観が合う人同士なら意外にストレスは少ない。俺の場合は束縛/干渉されたくないし相手にも一切しない、自分のすることに口出しされたくない、連絡が面倒、料理できるかはどっちでもいい(自分が作るのはあまり負担に感じない)、共働きがいい、コロナ騒ぎすぎ等が合っていたのが大きかったと思う。逆にこれらの価値観が合わない相手と同居しても上手くいく気がしない。

同居なんて無理、一人の時間を大事にしたいと思っていた自分でもやってみたら案外平気で楽しいので同じ考えの人も悲観することはないかもしれない。