アウトプットについて考察してみた。

さて、どんどん更新頻度が落ちていく中、自分の飽き性な性格に辟易しながら今回もカタカタやっております。定期的にちゃんと更新している人はやっぱり凄いな~とつくづく尊敬する。(お前も見習って更新頻度上げろよ)

今回はアウトプットの大切さについて考察してみたい。
かくいう俺もつい最近(1年前)まで全くアウトプットしない、かといって積極的にインプットに勤しむこともない情報弱者そのものだったのは前回のエントリーで話した通り。

アウトプットと料理はよく似ている

言わずもがなアウトプットとは、自分の中にあるもの(情報、知識、スキル、思考 )をテキストや言葉に変換し、視覚化、聴覚化する行為を言う。もちろんこのブログも、ツイートも、noteも全てアウトプットに他ならない。

アウトプットするために必要なのはインプットで、インプットなしにアウトプットすることはできない。食材がなければ料理できないのとよく似ている。良質なアウトプットに必要なものは圧倒的インプット量とその質だ。例えるなら料理=アウトプットで、インプットとは料理に使う食材を集めたり、食材の品質を高めることに近い。

食材の種類が少なければ作れる料理も限られるし、腐った食材を使っても美味しい料理は作れない。というか腐った食材で料理を作るな!(笑)

インプットも同じで、日々たくさんの情報に触れたり、行動して得られる経験の積み重ねがアウトプットの質を担保する。

またインプットは圧倒的量を熟すことで、自分に必要なものだけを上手く掻い摘んだり、処理速度が上がったりと質は向上する。これは日々食材を取り扱う料理人の目利きレベルが上がるようなもので、俺もこの一年、Twitter、ネット、メルマガ3本、本100冊読んで感覚は掴めてきた。まぁこの歳になるまでどこに良質な情報があるのかさえ知らない情報弱者だったことは恥ずべきことではあるが。。。

インプットしたものを自分の中でテキストや言葉(音声)に変換してアウトプットする。これを他者が評価することにより信用値が決まるのが社会と金の流れなわけだ。当然良質なアウトプット(価値のある情報や思考、面白いもの、共感を生むもの)が出来る存在は需要があるので社会的に価値が高く、信用値も高い。著名人や人気メルマガを見れば明白だろう。

逆にアウトプットするものの質が低ければ(情報として価値が乏しい、信憑性に欠ける、つまらない、共感されない)誰からも評価されないし、信用されない。または信用が失墜するリスクもアウトプットには含まれている。さらに言えば、アウトプットするものがないという人はインプットが圧倒的に足りていない。もっと多くの情報に触れたり、積極的に行動すべきだろう。

アウトプットは良くも悪くもそれ自体が評価対象となる。

会話やプレゼン、文章などがアウトプットの手段としてあげられるが、どれも全て他者に向けて発信した時点で評価対象となる。アウトプット自体が発信者の思考や能力を可視化する行為だからだ。もちろん同時に批判対象にもなる。

他者から評価されることや批判されるのが嫌でアウトプットに積極的になれないという人もいるだろう。俺のツイートも直リプや引用リツイートで批判されることもあれば、フォローされていない人からリツイートされ、その人のTLでリツイート後に色々書かれているのを目にしたこもある。その小心さには心温まるが、アウトプットにノイズは付き物で、要はクソリプとは調理場に出現するハエやゴキブリのようなもの。

鼻息を荒くして感情的なクソリプをとばしてくるノイジーマイノリティは総じて物事を論理的に考える思考力が欠如している。批判ツイートひとつとっても中身がない。例えば「バカ」とか「頭悪い」「ゴミwww」とか書かれていても、何のどこがバカで、どうするのが合理的なのかといった指摘や提案、代案がない。批判というのは代案とセットでなければならないが、これではただの感情論だ。

またクソリプに時間を割くとても頭の良いおバカ様たちは、自らアウトプットすることなく、安全な場所から石を投げ込んでくるケースがほとんど。彼らは評価対象になるものを持たないため、何を言おうが何も失わない。これは財産を持たない貧困層が裁判でどれだけ損害賠償をくらおうが痛くも痒くもないのと同じこと。当たり前だが、何も持たないものは何も失わないのだ。(笑)

アウトプットとは批判と隣り合わせだし、自分の地頭が露わになるため、ある意味勇気のいる行為とも言える。俺のこの拙い文章も、恥ずかしながら自分の思考レベルを露見する行為に他ならない。周知のとおり、俺はどこにでもいる凡人で、ちょっとばかり口の上品なおっさn・・・いやお兄さんだ。(笑)

アウトプットの大切さ

では批判されないためにアウトプットしない方が良いかと言えば全く逆だ。それでは傷付くことを恐れて恋愛に奥手な非モテと何も変わらない。評価とは良くも悪くも社会の声、自分を評価するのは自分ではなく周囲だ。

だからどんどんアウトプットして自分の思考は晒した方が良い。寧ろどんどん批判されるべきだ。まともな指摘なら取り込んで改良すればさらに良くなるし、的外れな批判やただの感情論は無視すればいい。この繰り返しが良質なアウトプットに繋がる。

批判や誹謗中傷を恐れていては何もアウトプットすることは出来ない。クソリプなんてただのノイズ。だから批判を恐れずどんどんアウトプットすればいい。自分が他人から評価されるかどうかはアウトプットすることでしかわからないのだから。

料理も食べてもらわなければ感想はもらえないし、作り続けることでしか上達しない。どんどんアウトプットして質を上げていくことこそ、自分の信用値を高めることに繋がる。
ということで、最後に本エントリーで何が言いたかったのかを一文に要約してみよう。

クソリプなんか無視してガンガン毒舌吐いていこうぜ!!

 

違う!!ww

終演!