前回記事で『年内最後の更新です。良いお年を!』
とか言っときながらまた年内更新するんかい!全く何てやつだよ、やれやれ。でもお前のそんなところ嫌いじゃないぜ。という温かい心の声が聞こえてくる皆様ご機嫌よう。
別にネタがあるなら週一以上更新できまっせ。俺はただいつも書くネタに困っているだけなんだ。
ネタさえあれば俺だって……俺だって……くっ…
同情するならネタをくれっ!!
それでは閑古鳥が鳴く相談所、略して閑相Vol.2
「ブログを書き出した頃はどんな気持ちで更新していましたか?」
僕もブログ書くの書いたり消したりって状況です。kaiさんがブログを書き出した頃(30歳前)はどんな気持ちで更新していましたか?(僕は見てくれる人がいないから書き続けれないという状態です)
— God Genes@オナ禁中 (@marugenFree) December 26, 2017
最初って誰にも見られないし、反応がないからモチベが続かないんですよね。だからどうすれば反応をもらえるのかを考えながら煽り記事や調子に乗った記事を書いてました。あとブログ記事は一度書けば残る資産です。後からいつでも読んでもらえます。過去が無駄だったかを決めるのは常に今の自分ですよ! https://t.co/8u4yqAATHa
— kai (@25_8_) December 26, 2017
ツイートで簡単に返答したが、もっと熱く語りたいテーマだったのでさらに補足したい。
質問者様はブログを書いても読まれないから更新するモチベーションが続かないとのこと。
わかる。
いや、非常によくわかる。
意気揚々とナンパしたけど、普通にガンシカされて、一瞬うつむいたあと顔をあげた時に目が合った人と同じぐらい気持ちが通じ合う。
God Genesさんに限らず、このような悩みを抱える人は多いはずだ。
俺も演奏日記を始めた頃、Twitterのフォロワー数は500程度だったが、意気揚々と記事をアップしたところでアクセス数などカスだし、当然いいねもRTも引用ツイートも何の反応もなかった。オンライン上のガンシカである。
更新後、通知音の全く鳴らないスマホを横目に「フッ」と鼻で笑いながら、アタリメをくわえてハイボールを流し込んでいたのはつい最近のこと。
記事を書いてオンラインにUPするからには、何らかの反応が欲しいと思うのは人の性。反応など欲していない、読まれなくていいのであれば自分のPCにこっそり保存しておけばいい。
オンラインでのアウトプットとは広義に解釈すれば皆人との繋がりを求めてのこと。俺もそうだ。だから今まで人と繋がるために大切なことを主張してきた。
今でこそ、更新する度に皆様から様々な反応(罵倒含むw)を頂けるようになった。おかげで日時を設定してアップすることにより、アポ時にピコピコとスマホが鳴ることで多忙な男も演じられているがそれは最近。初めは誰もがゼロからスタートする。
「ブログを書き出した頃はどんな気持ちで更新していましたか?」
ツイートに書いたとおりだが、反応がないのはつまならないので反応のよさそうなテーマを題材に書いた。
あと、ブログ移設の際に全て消したが、ナンパ師さんがよく書くアポ系の記事を協奏曲と銘打って書いたりもした。
書きたいことを書くのはもちろん自由だが、反応がもらいたいのであれば反応してもらえそうな記事を書くのもいい。
自分が読者だとすればどんな記事だと読みたくなるだろう?反応したくなるだろう?
日々の日常を淡々と綴っても自分のことを知らない人や興味のない人には読まれない。ぶっちゃけ芸能人のブログなんて子供が宿題で嫌々書かされた作文級にクソつまらんが、それでも膨大な人に読まれるのはその人自身が興味対象だからだ。知名度ゼロの俺たちはまずは誰かに興味を持たれるようなアウトプットをしなければならない。
その内容は誰かの役に立つような情報や、不特定の人や社会を煽るような挑発的なもの(例えば俺の場合なら乞食女や貧困層、感情論者だったり)でもいいし、共感を得られそうなこと、また真逆の異質な考えを書くのも面白い。
それともう一つとても大切なことを伝えたい。
ブログ記事は資産だ。一度書けば本人が消さない(運営から消されない)限り永遠にオンライン上に残り続ける。
どれだけ膨大な時間を費やして1本の記事を書いたとしても、それに費やした時間が無駄だったかを決めるのは未来の自分だ。書いている時に「無駄じゃないかな?」「意味ないんじゃないかな?」と不安がる行為に意味はない。
例えば、俺が昨年9月に初めて書いた記事や、その後も全く反応がなかった記事の数々を書くために費やした膨大な時間は無駄だったかと聞かれれば、全く無駄ではなかった。厳密にいえば無駄にさせなかった。
最初の記事がなければ何も始まらなかったし、それを起点に1週年の記事も書いた。
今こうして過去記事をペタペタ貼れるのも、過去に膨大な時間を費やして記事を書いて資産を増やしてきたからだ。
当時全く読まれなかった記事の数々もフォロワー数が増えた今読まれている。今の俺が過去の記事に息を吹き込んでいるのだ。あの日、まだ知人も仲間も1人もおらず、誰の反応も期待できない中、自宅で黙々と書き上げた記事を読んでくれているのが今の俺のフォロワーさんなのだ。
それに記事を読み返すことは自分の成長を実感する指標にもなる。
しかし、もし途中でブログやTwitterを辞めていたらどうだろう?消してしまったら?この場合、書くために費やした時間は何の生産活動にも繋がらない、無駄だったということになる。前向きに言い換えるなら、無駄(自分には向いていない、やりたくない)ということがわかったため、意味はあった、だけど。
俺が偉そうに言えることではないが、何事も続かない人は長期的な視点が足りないように思う。すぐに結果を求める人は多いが、足りていないのは強かさだ。やり方さえ間違えずに継続していれば少しづつでも結果は出る。
継続こそが信用の礎だ。継続する行為自体に価値がある。なぜならほとんどの人が途中で投げ出すから。俺も今までたくさんのことを投げ出してきた。だからこそ「継続」とはそれだけで他者と一線を画す強みとなる。
私的感覚だが、ブログでも定期更新を1年以上継続出来る人は10%以下、3年継続できる人は1%以下ではなかろうか。つまり継続するだけで1%に入れる。差別化としては十分だ。
やり方の正否の判定は、例えばフォロワー数の増減やブログのアクセス数を見ながら判断すればいい。増えなければやり方を変えるべきだし、増えているならそのまま愚直に継続すればいい。
わからなければ行き詰まった時に誰かにアドバイスを求めたらいい。但し、何もやらないうちからアドバイスを求めるのは愚行だ。なぜなら実際に行動しなければ具体的な問題が生じないから。書いた記事も複数なければ具体的なアドバイスのしようがない。
これについては以前芳野さんがとてもわかりやすく説明してくれている。
まずはどれだけ時間をかけてもいいので、個人的に力を出し切ったと思える記事を何本も書いてみることをお勧めする。それと他人の記事に対して感想ツイートをするのもいい。これは返報性の法則だ。人は興味をもってくれた相手に興味を抱く。
すぐに誰かの反応がもらえなくてもいい。それはちゃんと資産として蓄積される。それを続けた先の自分があとから価値を見出だせるのだから。
終演!
あ、今度こそ本当によいお年を!!w