金持ちと貧困を分かつもの(前編)


以前の記事「奢る奢らない論争を、お金の本質から考察してみる。」で少し述べたが、今回は金持ちと貧困を分かつものについて考察してみた。

まず、金の本質について。
以前の記事でも説明したので詳細は割愛するが、金の正体は信用だ。その本質は札束や硬貨ではない。
お金とは信用を数値化しただけのもの。PCやスマホ画面に映るただの数値にすぎない。お金=信用値

金、金言っている人たちは、この本質がまるで理解できていない。
金に困る人たちは、お金がないから困っていると思っているのだろうが、そうではない。お金に困るのはその人に信用がないということ、つまり人としての信用値が著しく低い結果が貧困なのだ。信用される人、信用値の高い人は金に困らない。

ここでいう信用とは、人柄、人格、それまで構築してきた信頼関係だけでなく、本人の知識やスキル、魅力、話術、文章力など、誰かにリスペクトされる対象である全ての能力を指す。
例えは悪いが詐欺師などを見れば一目瞭然だろう。彼らのお仕事は巧みな話術や策略で自分を信用させ、集めた信用を迅速に換金する商売だ。

実はお金を稼ぐ本質で括れば詐欺師も他の仕事も何も変わらない。違うのは信用を切り売り販売(キャピタルゲイン)するか、積み立てて利子所得(インカムゲイン)を得ているかという点だけ。
ただ、人生は長い。長期的に見るならば、信用を利確する代償に社会的地位を貶める行為より、積み立て投資的な信用構築のほうが複利も効くので盤石と言える。

さて、そもそも金、金言ってる人たちは金を得て一体何がしたいのだろう。重要なのはそこだ。本来目的を果たすためのツールでしかないお金が目的になっていないだろうか。少なくとも俺の出会ってきた貧困どもはそれに該当する。彼らはツールが目的になっていることに全く気付いていない。そして、金が目的になったおバカさんのほとんどは、いざ大金を手にしたところで大して果たしたい目的など持ち合わせていない。

安心したいだけ、もっと良い暮らしがしたいだけ、贅沢したいだけ、高級時計つけて、ブランドものを身にまとい、高級車を乗り回して、高級料理食べて、それをSNSにUPしてマウンティングしたいだけ。子供の教育に金をかけて、良い大学にいかせたい。金をかければ偏差値が上がり、学歴が年収に連動すると勘違いしたバカな親ばかり。

これらは劣等感や承認要求から湧き起こる利己的な欲望や、教養の乏しさゆえの勘違いで、元を辿れば全て感情に起因している。これら利己的な要求に支配されている限り、信用など得られはしない。なぜなら承認要求や自己顕示欲と、信用の構築はまったく無縁のものだから。

みんな感情に支配されている。

感情とは支配するものであって支配されるものではない。合理的判断は常に感情によって鈍らされてしまう。自分の感情の手綱を握るのは自分自身ということを肝に銘じておかなければならない。

しかし、ほとんどの人は感情はマネジメントするものであるにも関わらず、気付かない内に感情にマネジメントされている。イラっとすることに遭遇したからと言って、その後もイラついても何も解決しないのだからイラつき続ける行為に意味はない。瞬間的にイラつくことは仕方ないが、負の感情を行動理由にしても、得られるものなど何もない。
また、ダイエットや禁煙、筋トレにしても続かないのは自制心が弱いからで、自制心が弱いというのは自分の欲や怠惰といった感情をコントロール出来ていない、即ち感情に支配されている状態ということ。

金持ちや社会的地位の高い人を見て僻んだり羨んだりするのも劣等感、嫉妬心といった感情に支配されている重症患者。他人が金持ちだろうが貧乏だろうが本人には一切関係ないにも関わらず、成功者の失態、有名人のスキャンダルをアホみたいに喜んで叩いては溜飲を下げる。俺がもし全てを失い自己破産でもすれば両手叩いて大爆笑、ざまぁ!と笑い転げてのたうち回る姿は容易に想像できる。彼らは他人の不幸や失態を捕食している時点で人として詰んでいることに気付かないのだろうか。別に俺が転落したところで何も問題ない。またいちから信用を築くだけだ。

成功者や成功を収めようとしている人たちは思考が違う。
金持ちや凄い人と出会ったときに、羨望や嫉妬の感情を抱くのではなく「なぜこの人はこれだけ稼げるのか」「この人の魅力は何なのか」「どういう思考回路なのか」ということに興味を抱き、探究する。優れている面を分析し、学べるもの、自分に取り入れられるものはないか思考を繰り返す。

このように「金持ちと出会った」という同じ事象でも受け手の意味付け次第で結果が180度異なる。この意味づけの違いが行動に繋がり、行動の結果がやがて「お金」という信用値や「社会的地位」によって可視化される。直接可視できるまで気付かない人が多いが、富裕層と貧困層の差はもっと人としての基礎的なマインドの部分で決定づけられる。

金持ちと貧困を分かつもの

金というのが信用値ならば、信用を築いた人が金に困らなくなる。信用を築くということは自分という人間の価値を高めることに他ならない。
自分の無知さ、無能さと向き合い、自分に足りないものを貪欲に補い続ける。それを継続すれば信用値は自ずと上がる。行動指針にすべきは、それが自分の信用値を高める行為なのかどうかということ。

本で知見を広げる、情報のシャワーを浴びる、さまざまなスキルを会得する、他者貢献したり貸しを作りまくる、圧倒的行動、失敗の積み重ね、継続すること、常に自分の頭で考え続けることなど、これらすべてがセルフブランディングのため必要なインプット。奢られてラッキーなんてのは自立すら出来ていない極めて低次元な利己的思考だ。

利他的な行動はいずれ利己的な結果に導かれる。

これは利他的な行動を繰り返すと自ずと実感出来る。いかにも聖人の言いそうな聞こえの良い言葉ではあるが別に俺は宗教家でも聖職者でもない。俺はただアドラー哲学に感銘を受けたひとり。アドラーで学んだ他者貢献という概念は自分の信用値を高めることにリンクしているから勧めているだけだ。

今回は富裕層と貧困層を分けるマインド面について考察してみた。しかしマインドだけではダメだ(笑)全ては行動に起こしてこそ意味がある。今度は行動面について金持ちと貧困を分かつもの(後編)で具体的に書いてみたいと思う。最後までお読み頂きありがとうございました。