年末から魚捌き動画を上げると言っていた件、ようやく一本出来たのでYouTubeにUPしてみた。
しかし動画編集でここまで苦戦するとは思わなかった。動画の向きを変えるにもソフト、結合分割トリミング、コメント(字幕)を付けるのにも別のソフト。何か有料のソフトを買えばいいんだろうけど何が良いのかもわからない。YouTuber恐るべし。
— kai (@kai25_8) January 6, 2019
初めて動画を撮ってみたら逆さまだったので反転しようとしたらソフトがなければできない、向きを直しても無料ソフトでやると動画にソフトのロゴが入る、コメントを入れるにも別のソフト、こちらも無料版でやるとソフトのロゴが入る、アップロードにめちゃくちゃ時間がかかる、etc。
初めての動画編集だったのでかなり手こずったが、一本作ってやり方はわかったので次回はもっとスムーズに出来ると思う。出来はまだまだで今見返しても「このコメントは要らないな」とか「ここはもっと喋ったほうがいい」など改善点は多々ある。今後も試行錯誤しながら質を上げていき、もっと面白い動画を作りたい。
未完成品の価値
魚捌き動画もそうだが、やってみようと思ったことはなるべく早く実行してオンライン上で人目に晒するようにしている。そこに完璧さなど求めない。この前の演奏動画もノリでUPした。
久石譲 Oriental wind.
kai流アレンジversion。ミスタッチ多いです。酔っているのでご勘弁を。また完成したの撮れたらアップします。てかこれは後で消すかも。 pic.twitter.com/kcBtqGXYTc— kai (@kai25_8) December 29, 2018
ミスタッチが多々あり、完成品とは程遠い仕上がりだ。ちなみに演奏動画は自分の実力が露呈するのでアップするのに一番抵抗がある。
だが、自分の納得のいく演奏に拘るよりも、現状レベルのものでいいのでさっさと上げたほうがいいと思った。後から質の上がったものが出せれば問題ないし、自分の現状をオンライン上に記録したり、他人のリアクションを知るためにも未完成品でもどんどんアップしたほうがいい。
なぜそう思うかというと、このブログを書き始めて2年以上経つが、昔の記事を読み返したとき、直したいと思う箇所を見つけるたびに自分の成長を実感するからだ。自分で言うのもなんだが文章力は上がったと思う。他人の文章を読んでも自分だったらこう書くな、と思うこともある。
自分が出せるコンテンツはなにかと考えていた。週一更新の演奏日記(ブログ)は1つのコンテンツになった。個性的な文章だから差別化出来たと思う。あとは魚裁き動画とピアノ動画を上げようと思っている。質の高さは関係ない。例え素人でも面白いと思われるものが作れればいい。未完成にも価値はある。
— kai (@kai25_8) December 29, 2018
文章、動画、演奏、ツイート、音声、なんでも質に拘る人は多いと思うけど、どのみち評価に晒されるんだからさっさと出せばいいと思う。出したあとに質が上がればその人の能力(努力)でしょ。初めから完璧とか無理だから。俺も昔のブログ読み返して酷いもんだと思う。でもそれで自分の成長が実感できる。
— kai (@kai25_8) December 30, 2018
完璧主義というか質に拘る人は多い。自分の納得のいくものでなければアウトプットしたくない。だから完成品が出来るまで水面下で延々と時間ばかり費やする。
1人で時間をかけて納得のいくものが出来るならいいが大抵の場合、いくら時間をかけても納得のいくものなど出来ない。例え自分は納得しててもアウトプットすれば全く反響がなかったなんてことはザラだ。それよりも未完成なものでも都度アウトプットして他者の反応を見ながら試行錯誤するほうが質の向上は早い。それをブログを書いてきて実感した。
それに他者から見える状態にすることで気付くことは多い。俺も下書き原稿を何度読み返しても、アップ後の記事を何度も読み返す。アップ後のほうが他人も読んでると思い、真剣に読めて改善点が多々見つかる。
そもそもなぜ質に拘るのか。質への拘りは他者からの評価に対する怯えだ。自分の作ったものや、自分の思考、文章、音声、演奏など、自分の中のものをアウトプットすれば自分の能力が可視化される。可視化されるということは他者からの評価対象になる。この他者の評価に怯えているとなかなかアウトプットに踏み切れない。
俺も今までツイートやブログで多少クソリプを浴びてきた。クソリプを飛ばすのは総じてゴミなので無視すればいいが、やはり気分のいいものではない。「バカ」と言われても「じゃあお前の考えは?」と思うし、「おもんない」と言われても「じゃあお前が面白いこと言ってみろ」と思う。
批判や誹謗中傷、偉そうな意見を述べてくる泡沫アカは何のコンテンツも持たないし、発信しないことで評価対象となるものを持たない(だから泡沫アカウントなんだけど)。フォロワー数は少ないほど失うものがない。つまり安全な場所から石を投げてくるただの小心者だ。
自分でコンテンツを発信している人や、フォロワー数が多い人は安易に他者のアウトプットをディスったりしない。自分が発信しているからその大変さはよくわかるし、自身の発信に信用が問われているのを理解している。やられてウザいこともよくわかる。
例えば、他人の文章を読んで文章力が低いと思っても俺はそれに対して何も言わない。誰だって最初から上手く書けないし、何十万文字、何百万文字と書き続けた先に文章力の向上がある。質の向上には圧倒的試行回数が必要だ。
アウトプットを続けて常に評価を受ける状態にしていれば、アクセス数やフォロワー数、感想、反応などで自分の現状レベルは可視出来る。いつまで経っても状況が変わらなければやり方に問題があるかもしれないし(その場合は模範とする人に相談したほうがいい)、微増でも増えているならそのまま続ければ質は上がる。とにかく自分の納得のいくものを作るには未完成なものを晒して、良くも悪くも他者の評価を受ける状態にしたほうがいい。
また、やってみたけど即やめたことも多々ある。
以前やっていたkai記小説なんてのは、自分の日常を小説風にツイートするのがツボにハマって裏アカまで作って始めた謎のコンテンツだったが1ヶ月程度でネタが尽きてやめた。
他にも1月3日に酔って思いつきでソロキャスしたあと、これまた思いつきで質問箱を開設してみたが、質問が4個ぐらいしか来なかったのと、酔って変な回答をしまくったのを反省して
翌日閉鎖した
あれ向いてないわ…
やってみて違うと思ったらやめたらいいが、始めないことには合うかどうかがわからない。これも未完成なものをとりあえず発信したことで気付いた結果。魚捌き動画も今後続くかわからない。だが見切り発車でも未完成品でも構わないのでとりあえず発信してみることが大事だ。
他者の評価を恐れずどんどんアウトプットしよう。未完成品は晒してこそ価値がある。それに他人からどう思われるかを気にしない人こそ「嫌われる勇気」が正しくインストールされていると思う。
終演!
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