礼節と合理性の間


昨日まで年始挨拶周りに行っていた。これは毎年行っていることで、客先まで出向くのはこの年1回の年始挨拶だけの客も多い。普段の仕事はメールや電話、FAXのやり取りで事足りるので客先まで出向くことは少ない。

ちなみに最後のツイートは1000RTは固いと思えるほどの俺の渾身の力作だったんだけど反応薄すぎてワロタ。まぁよくあること。

挨拶回りの時に、相手の話をふんふんと真剣に聞く素振りをしながらずっと考えていたことがある。

冷静と情熱の、礼節と合理性の間について。

俺は日々なるべく合理的な行動をするように心掛けている。

具体的にはクリスマス等の行事によって一時的に価格の上昇する商品の購入やそういうサービスは控える、年末年始等の混む時期、混む時間帯の移動を避ける、年始の初詣にも誘われない限り行かない(そもそも神社に行かない)。ハロウィン?何それ?カクテルの名前?

冷めたやつ、ノリの悪いやつ、中二病乙wと思われるかもしれないが、人混みや渋滞のような他人と同じ流れを追うのは効率が悪いので嫌いだ。

そして信用や礼節は深く重んじようと思っている。

だが、合理性の追求と礼節の遵守は時に衝突することがある。

冒頭にあげた年始の挨拶回りなどまさにそう。年末年始の挨拶など誰もが深く考えることなく受け入れている習慣のひとつ。やらなければ悪い意味で浮く。

しかし、俺は別に協力企業(弊社が客の立場)が挨拶に来なくても何とも思わない。むしろ挨拶に来られても相手をする時間が惜しいのでご足労ご遠慮頂きたい。挨拶など電話口やメールの冒頭文だけで十分だ。

だが、俺がそういう思考だからといって他人がそうであるとは限らない。というか実態は真逆だ。

「世話になってる得意先に年始挨拶に来るのは当たり前だろ」と思う人はいるし、それによって相手の心証がよくなることは多い。年始に自分に会いに来てくれることを嬉しく思う人もたくさんいるのだ。当たり前だが人によって求められる礼節は異なる。

「じゃあ自由にふるまっても印象が悪くならない、価値観の合う客とだけ取引すればええんとちゃうんか?」という、いかにも堀江貴文さんが言いそうなド正論が飛んできそうだが、ちょっと待ってくれ。

客を切るのは言うのは簡単だが、実際に売上計上に四苦八苦する身としてはそんなに簡単に割り切れる問題ではない(汗)

ただ、以前書いたがウザ客を駆逐するのは大切だ。

ウザ客は駆逐しなければいけない

今でも他の仕事と比べてかなり自由にやれているほうだと思う。その反論が正論なのはごもっともだが、俺の持論は上手く立ち回れるのなら上手くやるに越したことはない、だ。

何でもかんでも自己都合に合わせてもらうには、それだけ圧倒的に需要のあるサービスや希少価値の高いモノが提供出来るのが前提だ。だから俺も自分で仕事を作るために、今もこうして膨大な時間をオンライン活動に投資している。

合理性だけを重視しても、それは時に相手にとって不快なことであったり、礼節を軽んじていると受け止められることもある。ここが合理性と礼節の間なわけだ。

もう一つ例をあげればクレーム対応もそうだ。直接会って謝罪するのが礼節(誠意ある対応)という意見はとても多い。

しかし俺はクレーム対応程度でわざわざ謝罪するために会いに来る必要もなければ、電話はおろか、メールでの事後報告だけで良いと思っている。具体的にどのような対処をしてくれるかで相手の誠意は伝わるからだ。

起きてしまったこと(過去)は変えられない。だから起きてしまったことに対してどのように対応するのか、代案を示してくれるのか、それにより生じた損害をどこまで補償してくれるかのほうがよほど大事で、謝罪よりも具体的な対応を優先してほしい。

懇切丁寧な謝罪などいらないし、深々と下げたハゲ頭を見せられても『俺のnote買えよ』としか思わない。相手の対応に誠意が感じられたらそれで十分に思う。

しかし、この考えも一般論として理解されることはない。世間の9割は感情論者なので感情への配慮が最も重視される。合理的思考は女に対して控えるのはもちろん、世間的にもウケが悪いので表に出す時は人を選ばねばならない。

仮に俺がニュースになるような不祥事を起こしたとして、謝罪会見そっちのけで迅速に事後処理にあたろうものなら壮絶なバッシングを受ける。

世間相手にこんな合理的な対応などとれば火に油を注ぐ…いや、はあちゅうさんに「童貞ディスる本でも書いて下さい」というようなもの。すぐさま非モテたちのクソリプで炎上し、その本が書店に並ぶのは困難を極めるだろう。

だから俺もクレームのときは事の重大さを考慮して、すぐさま謝罪に行く場合もある。これは他者視点に基づいたもの。相手によってクレーム対応に求める優先順位は異なる。

祟り神ばりにキレてる感情論者(クレーマー)の怒りを鎮めるためには、まずは相手の感情の鎮静化に努めるのが最善だ。アシタカみたく祟り神の急所に躊躇なく矢を射てトドメなどさせば現代社会ではドン引きされるのだ。

俺の考える礼節は、相手にとって誠意ある対応をすることだと思っている。年始挨拶のような非合理極まりない習慣でも、それが相手の心証がよくなる礼節なのであれば、こちらが合わせるのが合理的。一見非合理的なことに見えても自分の目的を果たすためには合理的ということになる

もちろん、取引したくない相手、好きでもない相手に合わせる必要は皆無。これはあくまで自分が取引したい、親しくしたいと思える相手に限った話。

合理性だけを追求するのが逆に望まない結果を導くこともある。それでは本末転倒だ。大切なのは目的を果たすためにはどうするのが合理的なのか、という礼節と合理性の間を考えること。それは常に他者視点の中にあると思う。

終演!