変わる人、変わらない人


もう聞き飽きたと呆れられるかもしれないが、俺は何回でもアドラー心理学をテーマに書きたい。それほど優れた思考だと思うし、何より俺自身アドラーが好きだ。もっと深く理解して、実践して、血肉にしたい。

アドラー心理学に衝撃を受けてから自身の思考や行動を改めた。人からの評価を気にしなくなった、承認要求を欲さなくなった、人に嫌われることを恐れなくなった、タスクの分離を理解した、他者貢献を理解した。そして俺は様々な人にこの本を勧めてきた。

友人、親、兄妹、既存子、店主etc。みんなクソどうでもいいことに囚われすぎている。

しかし、勧めたところで

①読まない

読まない以上お手上げだ。必要としていないのだろう。相手が求めていないものを強制するのは他者のタスク(課題)への介入。馬に水を飲ませるために水辺まで連れて行こうとしても馬が動こうとしないパターン。

次にくるのが

②読んだけど理解/共感できない

これこそお手上げ。理解/共感できない時点でそれ以上強制するものではない。これもタスクの分離。馬を水辺まで連れてきたけど水を飲まない、飲んでも吐く状態。

読んでも「でも~」「だって~」と思うならそれでいいんじゃない?要は変わりたくないということ。一生愚痴や不平、不満を垂れ流す人生を送ればいい。まぁそういう人とは距離を置きたくなるけど。

③理解したけど行動しない

これは致命的だ。どれだけ素晴らしい本や思考に触れても行動に移さなければ何も変わらない。意識だけ高ぶっても実践しなければ意味がない。

もしアドラー心理学を理解して実行出来ていれば、気の乗らない誘いなんて断るし、自分の言いたいことが言えるようになる。まぁ相手への配慮は必要なので言いたい放題というわけではないが。それでもウザい相手とは疎遠になるし、言動も変わる。少なくとも不平、不満、愚痴には意味がないので一切口にしなくなる。

しかし、実行していなければ①や②と一緒。著書が「勇気」なのに変わる勇気がないのだ。ネタでやってんのか?とさえ思う。

そして最後が

④読んで衝撃を受けて変わり始めた

この前会った友人もその1人。「周囲と全く合わなくなった」「話しても面白くない」と話していてとても共感した。俺自身も全く同じことを思った。自分の実力を認めさせたい、評価が不満、嫌いなやつとの付き合いがうんざりだの、聞いててこちらがうんざりする。

「世界がどうあるかではなく、あなたがどうであるか」

「自分への意味づけを変えれば世界との関わり方、行動までも変わらざるをえなくなる」

世界は主観で変えられる、過去に意味はない、与えられたものをどう使うか、変えられるものを変えるしかない、といった考えに他責は介在しない。

以前は仕事や上司、同僚に対する愚痴が多かった友人も本を読んでから愚痴を一切言わなくなった。他人の顔色、他人の評価を気にして気が乗らないことにも(評価を上げるために)色々付き合ってきたが、嫌なことをキッパリ断るようになって気が楽になったと嬉しそうに話していた。

友人がそのような悩みを持っていたのは知っていたので俺はこの本を強く勧めた。普段全く本を読まない人だがコイツが勧めるのなら…と読んでくれた。もう20年の付き合いだが俺は彼と一緒に変われたことを心から嬉しく思う。

今ではその友人も周りにこの本を勧めているとのこと。ただ、なかなか読んでもらえず悶々としているらしい(笑)

 

トラウマ(過去)や境遇(外的要因)を全否定し、自分で自分を変えるしかない、必要なのは勇気と説くアドラー心理学は現実的で厳しいものだ。しかし、他人も過去も外的要因も変えられないのだから、変えられるものにフォーカスするしかない。

変わる人、変わらない人の違いは自責を受け入れられるかだと思う。

上手くいかない原因を他責で片付けるのは楽だ。そうしている限り自分は悪くないのだから。しかし他責で片付けている限り現状は何も変わらない。

まずは全ての原因を自責と受け止め、今から、これからどうするかを考えて行動するしかない。他者貢献ができていれば自分の居場所は作れる。

必要なのは嫌われる勇気、変わる勇気だ。

終演!

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