二十歳の頃の俺へ「もっと苦しめ」


 

先日田端さんが書いた二十歳の頃の自分への手紙に感銘を受け、俺も愚かな自分に手紙を書くことにした。

二十歳の頃の俺へ

「大人ってバカばかりだな」ということが確信に変わってきてさぞかし調子に乗りまくっている二十歳の俺よ、こんばんは。約10年後の俺だ。今からお前に届くことのない手紙を認める。『何だこの中二病全開の痛々しい文章は。こいつが10年後の俺なわけがねぇ』と思わずに心して聞くがいい。

今のお前には10年後の俺が何をしているか当てられはしない。詳細は省くがその後色々あってお前が想定していた人生計画とは異なった道を歩んでいる。数年後のお楽しみだ。

お前は割と要領の良いタイプだ。バイトの仕事もすぐに覚えるし、店長や社員、同僚、先輩の仕事の出来なさにいつも辟易としている。一通り仕事を覚えたら違うバイトを転々として色々取り込もうとする姿勢も悪くない。

学校の出席日数はギリギリ、受験もテストも合格ラインギリギリをクリア出来る最低限の勉強しかしないある意味合理的な人間だ。今まで特に挫折知らずで計画通りに生きて来たのでさぞかし自信に満ち溢れていることだろう。

世の中の大人たちがこんなにも非合理なバカばかりなら自分が社会(大人)に出ればすぐに周囲を出し抜ける。自分の力を証明するのは容易い。そんな考えなのも知っている。

しかし、お前は井の中の蛙大海を知らず。世の中にはお前なんかより頭のキレる人は腐るほど存在する。お前が勘違いしたキモいナルシストである原因は今接している世界が狭すぎるからだ。学校やバイトで出会う大人や先輩、友人という極限られた矮小な世界で他人と比較して悦に浸っているに過ぎない。

オンラインの世界を覗けばそこは悍ましいほど有能な人たちで溢れかえっている。インターネットは普段の日常では決して接することのない人たちとの壁をぶち壊し、賢人、凡人、愚人を明確に可視化させた。要はその世界を見るか見ないか、見ても目を背けるかの違いだ。

彼らの著書やメルマガ、Twitterのアウトプットを見ればその実力や実績は受け入れざるをえなくなる。お前はそれを知ることで自分の無能さに愕然とし、赤面しながらそのおバカな考えを改めるのだ。

つまりお前は全くすごくない。ただの地頭偏差値50以下の凡人だ。自分の知らない世界に目を向けない限り、一生限られた村社会で満足する自己満に満ちたキモい人生を送ることになる。これを何ていうか知ってるか?マイルドヤンキーって言うんだぜ。

同時に真逆のことも言う。お前は周囲の大人たちをまるでミシュランガイドの審査員のごとく散々バカ認定してきたが、これから仕事を通じてさらにとんでもないおバカたちが繰り広げるウォルト・ディズニーも圧巻のファンタジーな世界に足を踏み入れることになる。

不思議の国の有りっス?(アリス)だ。心の中で何度もこう嘆く

『え・・・ちょ・・・(それ)有りっす?』

自分が正しいと思う合理的な主張が通らないどころか、立場や権力の違いにより不合理極まりない条件を飲まされることも多々ある。人の心の醜さ、器の小ささ、無駄、無意味なことの多さ、クズな大人の多さに失望する。

だが、お前の主張が見向きもされないのは全てお前に力が足りていないからだ。力というのは社会的信用のこと。金も信用も実績もないやつが何を訴えようと誰も見向きもしない、何も持たない者は何の交渉カードも切れない。世間知らずの小僧の戯れ言と思われて散々なゴミ扱いを受ける。まぁ資本主義社会で資本(信用)を蓄積するには知識、経験、礼節を愚直に積み上げていくしかない。

自分が合理的と思える主張も、そのまま相手に訴えて上手く行くことはない。それがどれだけ理にかなっていても決裁権をもつのは上司や顧客、協力会社といった「他者」だ。自分の目的を果たすために必要なのは他者視点であり、説明一つとっても他者視点から伝えなければならない。

俺はそれに気付くまでに随分苦労したし、今これをお前に伝えたからといってすぐに理解して実践することは出来ない。それが出来るなら金に困ることもない。単純な話、他人の需要が捕捉出来るなら提供するものを用意すればいいだけだろ?

つまり稼げていない、モテていない時点で他者視点を捕捉出来ていない。どうせお前のことだから言葉の上澄みだけを掬って理解した気になるだろうがそんな簡単な話ではない。他者の数だけ他者視点は存在するし、相手さえまだ気付いていない提案が時に必要にもなる。まずは意識することから始めてみるといい。

 

今のお前は承認要求に支配されている。自分の実力を証明したい、周囲に認められたい。自分を見下した大人や知人たちを自身の成功によってねじ伏せたいと思っている。しかしそれに囚われている限り一生他者の評価の中で生きることになる。

他者からの評価ばかりに囚われていては自分の人生を生きていることにならない。人は誰かに評価されるために生きているわけではないからだ。

ただ、まずは承認要求を追った先に何があるかを体感してみるのもいい。どこまで行っても満たされることのない承認要求とそれを追い続ける苦しさを。

承認要求の弊害はアドラーの「嫌われる勇気」という本を読んで気付かされた。

お前も息詰まった時に読むといい。どうせ今のお前にこんなことを言っても無駄。他人の意見を全く聞かないことはよく知っている。何より自分は頭が良いほうだと思っているバカだからな。

だが安心してほしい。お前がこれから経験する全ては無駄にならない。失敗しても、苦しんでも、泣いても、死にたくなっても、その全ては知となり、経験となり、自らの思想思考を形成する血肉となる。過去を活かすも殺すもその過去への意味付け(解釈)次第なのだ。

色々言ったが最後に二十歳のお前に一言

「もっと苦しめ」

今のお前は女に困っていないがこれから数年間は非モテを拗らせることになる。社会に出れば能動的に動かない限り出会いなどないからだ。友人を頼って散々ブスを紹介された挙げ句、自分の不運を恨み始めるが他力本願で上手くいかないのは当たり前だ。

半泣きで神社にいって願掛けしたこともあったが無駄な抵抗はやめなさいw

これは人(&神)を頼っている限り上手くいかないということに気付くための試練なのだ。

偉そうなことを言ったが俺もこれから何があるかわからない。1年後に会社が潰れているかもしれない。だけど不思議と不安はない。今の俺は常に最新の情報を追っているし、周囲と比べれば情報強者。未来がどのように進んでいるかもざっくりはわかっているつもりだ。少なくとも社会を占める大多数の情報弱者よりは優位に立てる。まぁこんなことを言う俺も10年前とあんまり変わってないな。笑

これからしばらくは今まで経験したことがない辛い時間が続くが、例えどれだけ辛くなっても、生きるのが嫌になっても、鬱になりかけても絶対に死ぬな。死んだら終わりだ。生きてりゃなんとかなる。

それに自分が悩んだ分だけ人の気持ちも理解出来る。悩むことも無駄ではない。だから、同じような悩みの人がいればその人の役に立てる人になれ、他人の知見を広げられる大人になれ。

人に尊敬されなくてもいい、好かれなくていいから、自分の素をさらけ出した時にそばにいてくれる人を大切にしろよ。

十年後の俺より

終演!