クソリプ送ってもお前の人生変わんねぇよ「クローズ化する世界」

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本日まで福岡へ一人旅していた(内容はサブ垢で更新)。

旅中は日頃お世話になっている要人とたまたま偶然ばったり出くわしてそのまま一緒に会食させて頂くことになった。

最高の食材、最高の料理、最高の酒に舌鼓を打った。まさに至福のひととき。またその際光栄なことに要人の主要コンテンツの一つであるvoicyに俺も出演させて頂くこととなった。

いつものように俺が泥酔してポンコツ化していますが、内容は具体性がない他者批判や他責にしても意味などないから変えられることを変えていこうぜ、といったもの。これまでブログで書いてきたことを話している。よければ是非お聞き下さい。

 

「世界は再びクローズドになっていく」

 

サウザーさんのツイートの転記だが、最近はこれを本当に実感している。仲の良い関係やコミュニティとは閉鎖的なものにならざるを得ないからだ。その真意は邪魔者の排除にある。

時間が有限である以上、会える人や共有出来る時間は限られている。仲の良い関係とは広く浅い関係ではなく、狭く深い信頼関係のこと。また、機密性(個人情報、機密情報)は閉鎖的な環境でこそ保たれるし、信用や守秘を重んじる人に質の高い情報は集まる。

現代では真面目にアウトプットを継続していると、互いの思想や思考に理解、共感し合うもの同士が自然と引き寄せあい、再び村社会的な、ある意味閉鎖的なコミュニティが収束されていく。

逆にろくにアウトプットすることなく、クソリプで自己顕示欲を満たすゴミは同類のクズと引き寄せ合い、それらはやがてゴミクズという集合体となる。前者はゴミ(ノイズ)を除去するために閉鎖的(クローズ化)にならざるを得ないのに対し、後者は誰からも相手にされないため自然と閉鎖的になる。これがクローズ化する世界(社会)。

世界をオープン化させたように見えたインターネットだが、内実は世界を再びクローズ化させている。だが過去の村社会と現代との違いは、そこに自分の望むコミュニティ(居場所)を取捨選択できる自由があり、繋がり会えるかどうかは自分次第ということ。

インターネットがまだ普及していない、世界が小さな村社会の集合体だった頃は自分の所属するコミュニティからの孤立は死を意味した。規律、規則を守り協調性を重んじる。村の掟に従わなければ生きていくのは容易ではなかった。いや、逃げ場がなかったと言うべきだろう。

しかし、インターネットの普及により世界中の人々と光速で繋がれる現代では、家族や地域、学校、会社といったちっぽけなコミュニティに依存する必要はなくなった。コミュニティや対人関係は自らの意志で自由に取捨選択出来るようになった。

当たり前だが、自由に取捨選択出来るといっても互いにそう思わなければ関係は成り立たない。興味・関心・共感の対象である相手と繋がるためには自分も相手からの興味・関心・共感を得られなければならない。そのために必要なのがアウトプットであり、オンライン上に残る記録は自身の履歴書のようなもの。

誰でも閲覧可能な俺のツイートの履歴もブログ記事も、直近で言えばサウザーさんのvoicy出演も履歴書でいう経歴にあたる。これらは消さない限りウェブ上に残り続けるし、消したとしてもそれを見た人の記憶に残る。「消した」という記憶さえも。

だから、例えネット上であっても好き放題に暴言を吐いたり、粘着質なストーカー行為や、アカを何度も消したり、自分の発言をブレブレにしてはいけない。匿名であっても匿名ではないのだ。「クソリプ送ってもお前の人生変わんねぇよ」というのはそれを伝えたかった。

俺は信用や礼節を重んじる人と仲良くなりたいと思うからそれを重んじている。面白い記事を書く人や、面白いことをしている人と仲良くなりたいから、俺もイタイ記事やポエミーなツイートを連発している。たまに自分でも何言ってんだコイツとドン引きすることもあるが、恥ずかしいことを臆せず言える人が好きだ。だから俺も他人にどう思われるかを極力気にしないようにしている。

このマインドで発信を継続していると価値観を同じくする人たちと出会えた。面白いコンテンツやツイートを発信する人たちと仲良くなれた。しかも俺の中身を深く知ってくれている。そして俺自身のフォロワー数も少しづつだが増えてきた。

インターネットは誰でも利用可能な強大なインフラだが、それを活かすも殺すも自分次第。俺はこれからもアウトプットを通じて自分の履歴書の経歴を増やし続ける。もっと色んな面白い人と出会うために。それと今も日々変化(成長)し続けている人と共に変化するために。

終演!

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