『才能の正体』の感想 / 全体最適を目指す合理性について


ヤバすぎる本を見つけたので紹介したい。何がどうヤバイのかというと決して俺の頭がヤバイわけではない。

坪田信貴氏、いや、失礼。尊敬の念を込めて坪田大先生とお呼びしよう。坪田大先生のこの本には俺が今までブログやTwitterで発信してきたこと、考えていたことのさらに上の上をいったことが鮮明かつ、具体的に言語化されていた。坪田大先生の本が富士山だとすると、俺の記事は天保山(標高4.5m)。この本に書かれている内容を一部紹介したい。

・洞察力の話

剣豪への弟子入りの話を例に書かれている。弟子になったはいいが、半年間も稽古をつけてもらえず師匠の身の周りの世話だけをさせられていた。それも師匠からの指示は全て「おい、あれ」「それ」といった曖昧なものばかり。しかし、師匠が弟子に教えたかったのは剣術にもっとも必要な洞察力だった。相手を洞察し、求めているものを想像する。これには相手を観察することが欠かせない。

才能があると思われる人は結果を出している人で、結果を出すためにはあらゆるものや人に対する洞察力(観察力、想像力)を磨き、相手の思考や行動、物事の本質を見抜く必要がある。洞察力の高い人=結果が出せる人、つまり洞察力こそが才能の正体だと坪田先生は説いた。実に本質を捉えていると思った。

視点を切り替える技術

目的を果たすために必要なのは他者視点と言い続けてきたが、まさにこの記事で伝えたかった主張で、さらに上をいっていた。

 

・全体最適とそれに必要な信頼関係の話

==自分さえよければいいという利己的な考えで自分の利益だけを追求している限り「全体でみたときの合理的な選択=全体最適(システムや組織の全体が最適化された状態)」に辿り着かない。そのために必要なのは信頼関係で「自分にとって短期的に得かもしれないという選択肢は捨て、全体最適のためにお互いのことを考え、協調することを考えるべき」==

一部抜粋させていただいたがこれは以前、社会全体の最適化を目指すために社会視点が必要だと書いた記事の主張に通じている。

視点を切り替える技術②~社会視点~

他にもアドラー心理学同様に「認知次第で自分の世界は変えられる」「責任を外的要因や他人のせいにして言い訳する無意味さ、自責に置き換える大切さ」「教育論」「仕事を選ぶのではなく仕事を創出するというのがAI、ロボット時代において求められること」「個性の尖らせ方」「顧客との関係は対等」「礼節を重んじる大切さ」「正しいフィードバックの仕方」etc。どれも合理的でド正論ばかり。

また、坪田塾とは現代の松下村塾の位置づけであり、その目的はすばらしい人材を育成し、世界を築き上げていく人材を輩出すること、というお考えには感銘を受けた。

俺もスケールはショボすぎるが、自分の思考や情報のアウトプットが誰かの新たな知見に繋がったり、お役に立てたら嬉しく思うし、社会を最適化するために出来ることをしたいと微力ながら思っている。

前置きが長くなったが、今回はこの著書に書かれてある「短期的に得をするかもしれない選択肢は捨て、全体最適のためにお互いのことを考え、協調することの大切さ、そのために欠かせない信頼関係」について思うことを書きたい。これはとても重要なことだ。

 

全体最適を目指す合理性について

 

「早く帰ろう」なんてふざけた経営理念を掲げているが、これはネタではなく本気でもある。人件費を抑えるのに躍起になったり、少数の社員に無理させることで利益を捻出しようとするドケチでおバカな経営者は多いが、これは完全に間違っている。何も道徳心で言っているわけではない。短期的な視野(利益)しか持たない人は長期的な利益を出せない。

徹底的に無駄を省き、効率化して、労働時間を削減することで、いかに雇用者の時給をあげられるか、安全(健康)を優先出来るかは雇用主にとって最重要課題だと思っている。

雇用者からすれば短時間で稼げる時給の良い(割のいい)仕事のほうが良いし、長時間労働や仕事で蓄積されるストレスは健康に悪い。そして割の良い仕事と働きやすい環境が提供できる雇用主は人材に困らない。

一見、社員思いの経営者だと思われるかもしれないが、より良い労働条件の提供は俺の利益に帰結する。下記、フローのとおりだ。

待遇が良ければ良い人材がたくさん集められる↓

有能な人材は仕事を丸投げしても着実にこなしてくれる↓

俺は社員に全幅の信頼をおいているので全て丸投げして細かい指示は一切しない↓

社員が自分で考えて自発的に仕事をしてくれる↓

ミスで損害が出てもそれが故意的でなければ絶対に怒らない↓

自分で勝手に決めて実行しても怒られないのでさらに勝手にやってくれる↓

全体の仕事のパフォーマンスが最大化(全体最適化)する↓

俺の仕事がどんどん減るのに利益は自動的に出てくる

つまり社員の待遇を上げることにコミットしたほうが社員のためにも俺のためになる。しかもそれだけではない。俺が全く仕事をしないということは社員が頑張らないと会社が傾くわけだ。これが各々の責任感に繋がり、真面目に働く動機となり、経営はより盤石となる。

さて、では俺のような全く働かない丸投げ放任主義の経営者は部下からすれば別の経営者に変わって欲しいと思われるだろうか?実はこれが全く逆で、細かいことを一切言われない、ミスしても怒られない、自分のペースで仕事が出来る労働環境のほうが仕事は圧倒的にやりやすくて捗る。部下からすれば指示が細かかったり、ウザい上司に変わられるほうが仕事がやりにくく。俺のほうがまだマシなのだ。その証拠に今までクビにしたことはあっても辞めたいと言われたことは皆無。

つまり、全く仕事をしないこと(丸投げ)こそが俺の役割(仕事)であり、互いに信頼し合える関係に繋がっている。俺がするのは受ける仕事の選別で、選別基準は雇用条件の改良(割りの良い仕事か、良客か)に繋がるかどうか。これを基準にすれば会社の利益も増える。あとはいざ問題が起きたときに自分が全責任を負うぐらい。

「才能の正体」に書かれてある「全体最適」とは個人の利益より全体の利益を優先し、全員が幸福になるための合理的選択をするということ。全体の利益を追求したほうが全体が最適化される。それにより組織のパフォーマンスが最大化した結果、さらなる利益が得られる。社員を信頼して仕事を丸投げしたり、俺の給料を下げてでも社員を優遇したほうが、長期的に見れば俺の所得は増えるのだ。

もし、これが個人の利益を追求する利己的思考ならどうだろう。

利益のために労働賃金/待遇をギリギリまで切り詰める↓

細かい指示、チェック、叱咤、報告、あらゆる要求↓

雇用主に対する不平、不満でパフォーマンス(やる気含む)が落ちる↓

我慢の限界でやめる↓

求人を出しても人が来ない、来てもすぐやめる↓

利益を出そうにも仕事をこなしてくれる人がいない、使える人材がいない、パフォーマンスが低い↓

利益は出ない

ただの悪循環。短期的な視野だと長期的な利益は出せないし、何より誰も幸せにならない。だから「早く帰ろう」という理念は全体最適のために実はとても重要だということ。何もネタで掲げているわけではないw

 

オンラインでのアウトプットでも全体最適を目指せば、結果的に自分の情報リテラシーの向上に繋がる。具体的に言えば、他者の役に立つかもしれない情報、自分の思考、他者から面白いと思われることなどを発信すればフォロワー数が増え、自分の発信した情報を補足してくれたり、自分に情報が集まる。いかなるケースでも全体最適を目指すのは極めて合理的なのだ。

この本には人生で重んずべき大切なことがあまりにも多く書かれていた。是非読んでみて下さい。

終演!